今日の、昨日の日食


前日、場所の選定と一緒に天体雑誌の付録で作ったフィルターをテストした時点で、今回自分の撮りたいものがどのようにして実現可能なのか、見えてしまった。たぶんそのせいでテンションが下がったのだろうか、日食当日は寝過ごしてしまう。自宅の窓からカメラをかまえた時にはすでに食が最大になるところだった。
そう。そのフィルターで撮影して連続写真にするというのは、完全に「作る」という事で、どこで撮っても大差ない。それどころか自分で満ち欠けする白丸を作って日食撮れたよーと言ってもよほど拡大しないと分からない。デジタルで容易にその行為を行えるようになったがそれは「とてもつまらない作業」なのだ。

そうして、撮りたいものはこんな風景だったのだけど欲しかったのはこんなものじゃないという気持ちだけ残る。
巨大なレンズを使ってばきばきのピントで撮影するのでないなら、地べたに落ちる木漏れ日をコレクションするために走り回る方がよほどいい。次回2030年。その時生きていてまだカメラを握っていたらどんなふうに撮るか考えておこう…