今日のよぱらい臓器論


財布の中の「臓器提供意思表示カード」がぼろぼろになっていたので新しくした。俺の体は脳死の判定を受けるとほとんどの臓器を持っていかれる。いいのいいの。死んでしまえば体に用は無いから、使える部分はいくらでも持ってけ。ただ肝臓はきっと奈良漬け状態だ。腎臓はちょっとおしっこが近いよ、何か飲んだらすぐ出るよ。視力は裸眼で左は0.1以下だ。

・・・・臓器移植を受けるbefore・afterで「嗜好が変った」「趣味が変った」という話が、まゆつばな話として紹介されていたりする。いわく、お裁縫とか園芸など女のやることだと考えていた男が臓器移植を受けた日を境に趣味が変わり、ちまちまとお裁縫をするのが楽しいと思うようになって困っているとか、初めて会った人なのに懐かしさで涙が止らない、調べたらドナーの友人だったとか親だったとか・・・・

ところで自分は何をしている時が一番調子がいいとか考えたことはあるだろうか?きっとそんなこと言わずもがな、誰もが「やりたいこと」をやっている時が一番気分が良くて調子よく動くと答えるだろう。ではその「気分が良い、調子がいい」というのはどこから来るのか?頭からか?胸からか?もしあなたがそうしたことにしばらく注意を向けて自分を観察するなら、たぶん「体全体から」と「感じる」んじゃないだろうか?


ここからはなんにも裏付けの無い妄想。(つってもとっくにいろんな人が言っているが)
簡単に言えば、裁縫が好き好きでたまらなかった人の肝臓は、その人が裁縫をやっている時にもっとも調子よく働くようにでき上がってしまうのだ。だからよその人(仮にBさん)の体に入った時もBさんが裁縫をやり出した途端、調子よく働き始める。移植される臓器というのはたいてい「それが無いと生きられない」つまり体内で発言力が強い臓器なのだ。肝臓が調子よく働くことで周囲の臓器も正しく働き出し、おそらくBさんは何だか知らないが裁縫をすると爽快になる、やめられない。わけわからん、ドナーの魂が乗り移ったのだろうか?となるのだ。

だとするなら・・・俺の主要な臓器の移植を受けた人は、間違いなくバイクに乗るね。そいでもってジムカーナをやったり夕暮れの林道を走ったりしたくてたまらなくなるだろうな、(・∀・)ニヤニヤ♪


そうして話がさらにすっ飛んでゆく。事実が所々に含まれるけど妄想の続きだから。
中国では死刑囚を臓器移植のドナーとしているそうだ。 さすが皿以外なら何でも食べる人種だけあって人体に対するタブーも少ない。彼らにしてみれば死んだ人間は人間じゃない、肉なのだ。なに?活きの良い心臓や肝臓の移植を待っている人が多い?では肉から外貨を稼げる資源に昇格だ。幸い死刑囚なら我が国は非常に多い。金になるぞー。
そう思ったからこそ死刑囚をドナーにしたのだと考えて間違いないだろ。妄想だが。

中国における死刑囚とはどんな人たちか?
以下の言葉を「中国」とセットで検索すればすぐに出てくる。
「政治犯」
チベット
東トルキスタン」etc

捕らえられて拷問を受け、人としての尊厳をはぎ取られ、心の奥底から「中国」を恨みながら死んで行った人も多いだろうし、公開処刑のために引きずり出され、目隠しが作る闇の中で最後まで「中国」の行く末を憂えながら頭を打ち抜かれた政治犯もいるだろう。(法輪功は死刑にはなっていないとのメールをいただいたので削除しました)


そう。
いや、まさかじゃなくてそうなの。
この話はそういう方向に向かうのだ。妄想だから


これは怨念だ、怨霊だどころの話ではない。「恨みの実体」があるのだ。中国を恨みながら死んでいった人の臓器は中国の不利益になることをやる時に調子よく動くようになるだろう。そういう臓器が世界に拡散するのだ。もしかすると幾人もの人の体を渡り、気の遠くなるような時間の果てに一つまた一つと集まって「再生」した人物が、中国という国家を消滅させる日が来るかも知れない。




誰かそんな小説書いてくれないだろうか?

俺が考え着くぐらいだから同じような話はすでに出ているだろうなー
見つけたら教えて。