今日の林道2



少しばかり長く生きてきた人なら「確率」というのが案外不公平なものだと、たとえば、Aさんが生きている間にAさんの手によって転がされたさいころの目に限って言えば1と4が圧倒的に多い。

と、いうようなことがあったり、

買ってきた宝くじを前回当たった100万円を留めていた帯に通して置いておいたら今度は1000万円が当たった。

と、いうようなことが起きたりと、そんなふうに「確率」という言葉のもとに均等に分散されるはずの「物事」が、実はある部分にかたまりがちだと経験的にお気づきのことだと思う。そのうえで、そうしたことをわかってあきらめた上でなお、握ったこぶしをぷるぷるさせながら俺わ言いたい。「キサマの上をあまたのバイク、車が通り過ぎているだろうになぜ俺を選ぶ????釘のくせに!!」

いやまあ、予備のチューブや工具は常に携行しているんで、たいした苦労はしないけれどね。パンクする回数が問題。2年に1ぺんはパンクしている・・・・
昔っから。




そんな「確率」はいやだ。
俺も宝くじが何度も当たる「確率」が欲しいー。