今日のジムカーナ

北海道の6月は、むせるくらい花薫る季節

ふらふら走り回る方が楽しいかも知れないが、ジムカーナをやりに出かける。何でアフリカツインなんぞでジムカーナに出るか?というといろいろあるが、最大の理由は「でかいバイクに跨がる人がへたくそだとひどく恰好が悪い」につきる。その辺はPAでの駐車状態から走り出すまでの間(一般の人に最も注目されるところ)を数人観察していればすぐわかる。特に俺みたいな貧弱な体格で力もなさそうなやつが不相応にでかいのに乗って、なおかつ「へたくそ」だともう最悪。目も当てられない。


「あーあーあー無理しちゃってまぁ、見てよあれ、うふふふふっ」

「いつまで押したりひいたりしてるのかしら・・・・顏真っ赤じゃない!」

「なんかあれよね、貧弱な人ほど強そうなバイクに乗りたがるよね〜」

「(*・_・)(・_・*)ネー」

そんなことっ、俺に向けて断じて言わせてなるものかぁっ!


すこうし話が感情的になったが、そんな理由だから「いま股下にあるバイクでジムカーナに出る」それも自走で。これがずっと軸になっている。俺にとっては、ジムカーナ用のバイクでは意味がないのである。は?何もジムカーナじゃなくても講習会で充分だろって?そうなんだけどね、プラスアルファの「闘う緊張感」が大好きなもんでね。

と、ここまでは半分本音半分建前。

ジムカーナを続けるひそかな本当の理由は・・・

ああもう10年以上昔の話になってしまった・・・・

初めてジムカーナに出た日、それはそれは美しい走りをする人がいた。



ジムカーナに出る人は走り方が汚ならしい」とはよく聞く。実際ぴょこぴょこ落ち着き無く顔を回し、体を大げさに前後させ、異様なリーンインで、それが良いタイムを出すのに必要な動作だとしても「こんなふうに走りたい」とはお世辞にも言いがたい走りをする人が多いが、その人だけは違っていた。



Vツイン特有ののどかな音に乗って「レースなのに何でそんなにゆったり走っているんだろう?」と疑問に思うくらいのんびり走っているように見えるのに、ゴールして出たタイムは「速っっっ!!」その走りから想像もできないくらい速いタイムだったのである。


札幌は市内でも空が広い

それからしばらく、我を忘れて良いタイムを出そうともがく一方で、その時の彼の走りが次第に胸の中で大きくなってきて、ある日ようやくわかってきた。自分がジムカーナを始めた原点をはずさないようにするなら目指す走りは「それ」だったのだ。初めて出場したその日「お手本となる走り」に出会うという僥倖に恵まれていたのだ・・・・


だというのに、気がつくといまだに「速く走らなければっっ!」と肩を怒らせて自滅してしまう・・・全然出来ていないんだよなー


はっ!!!

あちゃー!

もう10年経っちゃったよ!!





まーだ足元にも立てていない!(汗







馬齢を重ねただけ・・・(滝汗


カッコいい話でしょ?だから、今回のジムカーナにでるために家から国道に出た瞬間に捕まって「いちまんごせんえん」を国庫金として収めた事は君と僕とのないしょ話だ。いいね?